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【中学生】春はあけぼの 枕草子はなぜ千年経っても教科書に載っているのか

 中学生の勉強法

春はあけぼの やうやうしろくなりゆくやまぎは…

言わずと知れた国語の教科書にも載っている「枕草子」の有名な一文です。 書いたのは清少納言、千年以上前に皇后に仕えていた女性です。高貴な生まれではなく、父親はいつまでたっても出世できない下位貴族です。そんな下位貴族の娘が書いた随筆が千年経った今でも教科書に載っているはなぜかというと、そこには日本人の感性に関わる秘密があったんです。

秘密の前に、まずは清少納言と枕草子のことから。そんなのわかってるよーと言う人は飛ばしてくださいね。

清少納言てどんな人?

文学エリート

清少納言の家は位は高くありませんが文学の才には長けたいて、清少納言に加えてひいおじいさん、お父さんも小倉百人一首に選ばれています。じゃあ、おじいさんはできない人だったのかな、というとそんなことはありません。おじいさんも古今和歌集に選ばれており、由緒正しき文学エリート家系です。

社交性も才能のうち?

位は低くても頭が良くてコミュ力もあるのが、清少納言の家系の特徴。清少納言は抜群の学識とコミュ力で皇后である中宮定子の一番のお気に入りになります。

 

新入りが定子一番のお気に入りになったら、先輩たちは面白くありませんよね。ところが、清少納言は持ち前の愛され力と機転で先輩女房たちにも認められ、楽しい宮中生活を送ることになりました。

枕草子誕生の謎

貴重な紙の使い道

定子はある日、お気に入りの清少納言に紙の束を見せて「これに何を書こうかしら?」と聞きます。当時、紙は超超超!貴重品。普通だったら「えっ?これを私に!?」と舞い上がってしまいますが、ここでも清少納言は機転の利いた返事をします。

枕にしましょう

は?紙を枕にする?

清少納言がなぜそんな返答をしたのかはっきりした理由はわかっていません。諸説ありますが、言葉遊びの天才だった清少納言らしいエピソードを私は推しています。

どんなエピソードかというと…

同じくして紙を手に入れた天皇が「史記」(歴史書)を書くことにしたそうなので、それにかけて「敷き」…つまり布団にしましょう、という意味で「枕にしましょう」と答えたそうです。 本気で枕にする気なんてありませんよ?天皇が作るという「史記」と同様に「宮中での出来事を色々記しておきましょう」ということをユーモアたっぷりに答えたわけです。

高学歴ジョーク

「枕にする」と言った清少納言も清少納言ですが、本意を理解して貴重な紙を清少納言に託した定子も定子。どちらも非常にレベルの高い教育を受けた高学歴女子だったことがわかります。 定子に仕える女房は賢い女性が多かったそうですが、中でも清少納言は機知に富んでいて、枕草子には帝や他の女房がふたりの会話に関心する様子が描かれています。

華やかな生活

清少納言は、定子から託された紙に宮仕えの日々の中で起こった出来事を書き記します。賢く美しい定子は天皇からの寵愛を受け、清少納言も華やかな宮中生活を送っていたことが枕草子からも伝わってきます。

定子の凋落

ところが叔父の藤原道長の策略で定子の立場は急変し、定子は出家し清少納言は実家に帰ることになります。やがて定子は妊娠が発覚し、一条天皇のもとに戻って清少納言も再び宮仕えを始めます。しかし一度出家したにも関わらず再び皇后になった定子に世間の目は厳しく、以前のような華やかな生活には戻れませんでした。

定子のために

権力争いに破れて静かに暮らす定子を慰めるために、清少納言は今のつらい生活ではなく、かつての華やかな生活の思い出を書くことを決意します。やがて定子は出産で命を落とすんですが、その後も清少納言は定子との思い出を書き続けました。

枕草子、流行の謎

それにしても、当時絶大な権力を握っていた藤原道長のいわば政敵側の清少納言が書いた枕草子が禁止されなかったのはなぜでしょう?どれだけ内容が優れていたとしても、権力者道長の悪口が少しでも書かれていたら問答無用で処罰されていたことでしょう。

電通顔負けの戦略

清少納言は道長側の悪口や恨み節を一切書かなかったんです。道長が枕草子を禁止する理由はありませんでした。人々は枕草子を通して定子の聡明さを改めて知りました。定子大好きな清少納言が書いているので、定子は非常に魅力的な女性として描かれています。人気が出るのも当然のことです。生前彼女に起こった悲劇にも同情が集まり、定子の人気は伝説的なものになります。道長にもそれを止めることはできず、清少納言の思惑通り枕草子はベストセラーとなり今に伝わることとなりました。

多彩なテーマ

枕草子の魅力は、定子だけではありません。テーマの多彩さも魅力のひとつです。自然、宮中の行事、人間観察…。清少納言がもし今生きていたら、アメトーークに毎週出演できるかもしれません(笑)特に人間観察はくすりと笑えるものが多く今でも通用する話が多いので、現代語訳版でもいいから読んでお気に入りの段を探してほしいです。

清少納言の自慢もかわいい

「和歌の上の句が送られてきたから続きを作って送ったんだけど、評判が心配だったのー。そしたら、大絶賛されちゃった!」 枕草子にはこんな内容がまあまあ多いので、読んでいると少々イライラします(笑)自己評価低めに見せかけて実は自慢…みたいな(笑)現に、同時代のもうひとりの天才女流作家の紫式部は「清少納言の自慢、うざいわ〜」と日記に残しています。

 

でも、自慢もリア充アピールもすべて定子を慰めるために楽しかったこと、幸せだったことを殊更強調して描いていると思えば、清少納言が愛しく思えてきます。

春はあけぼのはなぜ教科書に載るほどの名作なのか?

さて、ここまで読んできて枕草子がベストセラーになった理由はわかりましたね。清少納言の完璧なプロモーション戦略と内容面の充実が両立していたから人気が出たわけです。では、平安時代のベストセラーが数ある中で枕草子、しかも「春はあけぼの」が教科書に載っている理由に迫りたいと思います。

新感覚!季節感を時間で切り取る

それは、「春はあけぼの」に今につながる季節感のヒミツがあるからです。

春と言えば…

春と言えば何でしょう?桜、たんぽぽ、ちょうちょ、入学式、ピクニック…。いろいろ思い浮かびますね。。清少納言よりも以前の文人も桜や梅を春の和歌に詠んだり、記してきました。

風物詩

目に見える風景や植物は、誰にでも共感できますよね。「桜」と言われて夏だなぁ…と思う人は超少数派です。

清少納言にとっての四季

ところが清少納言は季節の良さを時間帯で切り取って見せたんです。春の良さが現れるのは明け方であり、夏は夜、秋は夕暮れ、冬は早朝だと。

価値観の創造

それは新しい価値観の創造といってもいいでしょう。その新しい価値観は平安時代の人々に大うけするだけでなく、その後の時代の人にとっても新鮮に受け入れられ続けてきました。

影響力抜群!

季節を時間帯で切り取ってみせるというのは、あまりに斬新な表現だったので、後の世には枕草子に反論するような和歌も作られます。

春の夕暮れもいいじゃないか!

中でも私のお気に入りは後鳥羽上皇が詠んだ歌です。(北条政子の演説でおなじみの承久の乱を起こした上皇ですね。)

 

見渡せば 山もと霞む 水無瀬川 夕べは秋と 何思ひけむ

(見渡してみると山のふもとに霞がかかって 水無瀬川が流れているよ。

昔の人は、なぜ夕方は秋がいいと思ったんでしょうね。)

 

山のふもとに霞がかかっているということから、これは春に詠まれた歌だとわかります。当時の文学では霞といえば春、という約束があったんです。「秋は夕暮れ」と清少納言は言ったけれど、春の夕暮れもいいじゃないか、と枕草子が書かれた200年後に後鳥羽上皇は思ったわけです。 

 

そして更に800年が経った今、清少納言と後鳥羽上皇どちらの意見もわかるなぁ…と思えるのは季節感に時間という視点を持ち込んだ清少納言の価値観がいまだに日本人に受け継がれているからだと思います。

春はあけぼのが教科書に載っている理由

もうわかりましたね!「春はあけぼの」には千年経っても色あせない新しい価値観が表現されているのが、今でも教科書に載っている理由です。

講師

超愛され女子の清少納言の魅力があふれる枕草子、ぜひ読んでみてくださいね!

 

この文は尾花が書きました。