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【太秦教室】日本に平和を齎した人 徳川家康 前編

投稿者:太秦教室

 

 どうも!太秦教室社会科担当の白木です!

 

 タイトルの「齎す」読めましたでしょうか?

 これは「もたらす」と読み、「ある状態を実現させる」という意味を持っています。

 

 まさに江戸幕府成立から260年続いた平和を実現させた徳川家康のキャッチフレーズにはぴったりではないでしょうか。(自画自賛w)

 

 徳川家康の似顔絵イラスト

 

 徳川家康は幼少期の人質生活に耐えるなど我慢の人として知られる一方で、政権を乗っ取る、新参者を遠方に送る(外様大名)などずる賢い(笑)部分も持っている人物です。

 

 では、家康がどうやって政権を乗っ取ったのかヾ悒姥兇寮錣大坂の陣の二つを中心に見ていきましょう!

 

 まず一つ目の関ケ原の戦いですが、桶狭間の戦いから織田信長についた家康は秀吉は天下を獲る頃には関東一円を支配する実力者となっていました。(ここまで紆余曲折ありました。。苦労人なのです。)

 

 秀吉の配下の中でも有力であった家康は秀吉亡き後政権を取ろうと画策し(ずる賢いw)、ついに秀吉に忠誠を誓う石田三成らを関ケ原で破り天下統一を決定的なものにします!

 

 さらに二つ目の大坂の陣で豊臣家を滅ぼします。

 

 関ケ原の戦いで勝利し、日本をほぼ支配した徳川家康ですが依然豊臣家は秀吉に恩のある大名も多く、資金も莫大にあり無視できない存在でした。

 

 そこで家康は謀略を巡らせ、豊臣家に無駄に寺社を作らせることで豊臣家の資金を削っていきました。また運の良いことに大坂の陣までに豊臣派の武将が次々と亡くなっていきました。(これはかなり怪しいぞw)

 

 このような家康の動きに対して不信感を持った人々関ケ原の戦いで所領を失った浪人などの不満分子が豊臣家に集まり大坂の陣への機運が高まっていきました。

 

 そしてついに家康が豊臣家が立てた寺の鐘が徳川家を暗に呪うものであると言いがかりをつけ大坂の陣が開戦します。(「国家安康 君臣豊楽」 国家安康が家康の名前を引き裂くもので、君臣豊楽が豊臣家の繁栄を暗に願うものだとして言いがかりをつけた)

 

 この大坂の陣で勝利した家康は完全に天下を手に入れたのでありました。(真田幸村に加え、その陰で活躍した毛利勝永など語りたい部分は多いですがそれはまた今度)

 

 天下を完全に掌握した家康は、その地位をさらに盤石にするためにさらに手を打っていきます。

 

 この後の話は後編でw

 

 ではまた!