You-学舎は、大阪(茨木・南茨木・千里山)、京都(西院・太秦)の個別指導・学習塾です。

【太秦教室】天下を獲った「サル」 豊臣秀吉 後編

 太秦教室

 

 (こちらは後編ですので、前編を見てからご覧ください)

 

 どうも!太秦教室社会科担当の白木です!

 

 突然ですが、秀吉を評した俳句として

 

 「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス

 

 という俳句があります。

 

 ホトトギスと豊臣秀吉のイラスト

 

 これは秀吉の周りに働きかける力、ホトトギスさえ手懐けられるほどの人心掌握力を表した俳句として有名です。

 

 私も秀吉のように生徒たちの心をがっちりと掴める講師になりたいものです(笑)

 

 

 余談は置いておいて、前編の続きキリスト教禁教から解説していきます!

 

 キリスト教禁教ですが、なぜ信長がキリスト教を推奨したのに対して秀吉は禁教と言う策をとったのでしょうか?

 

 前回の織田信長編で信長がキリスト教を推奨した理由として金を稼げるからと言う理由がありました。

 戦争にはお金がかかります。軍資金を集めるといった背景もありキリスト教(海外の商人)とのつながりを持ちたいという思惑がありました。 

 

 しかし秀吉が治めているのは日本統一した後の国。争いもなく、戦国時代ほど資金も要りません。

 秀吉にキリスト教を推奨する理由はありませんでした。

 

 加えて、秀吉は日本の統治者で兵農分離を推し進め、下剋上の時代から一転して身分の固定する政策を採り続けました。

 この秀吉の方針に対して、人類はみな平等と考えるキリスト教の考え方はあまりにも都合が悪いものでした。

 

 「神は2柱要らない」キリスト教は次の江戸幕府の時代にも弾圧され、再び日の目を見るまで時間を要するのでした。

   ↑神様の単位は人じゃなくて柱らしいですよ(笑)

 

 

 さて最後につ鮮侵略について解説をして豊臣秀吉編を〆たいと思います。

 

 い任垢、見事日本を統一し、その後キリスト教を排除した秀吉は農民の「サル」から「日本の王様」になりました!

 そんな日本で敵なしの秀吉が目指したのは世界の王様」でした。

 

 手始めに中国へ進出する足掛かりとして朝鮮へ侵略していきます!

 

 全国の大名から大軍を集め二度攻め込みますが、朝鮮、中国の連合軍に敗れ、秀吉は志半ばで亡くなってしまいます。

 農民から「世界の王様」という究極の下克上を目指した秀吉の挑戦は失敗に終わりました。

 

 秀吉が亡くなった後、偉大な指導者を失った豊臣家と、NO2の座についていた徳川家康との間で、どちらが秀吉のポストに座るか争いが起きました。

 その争いを鎮めた徳川家康がまた新しい時代を創り、秀吉の家系は悲劇的な結末を迎えるのでした...。

 

 

 上記の4点に加え、秀吉は関白に任命され(摂政との違いは大丈夫かな?)、また大阪城を築くなど関西地方ともつながりの深い人物です。

 

 また秀吉は前の信長、後の家康と比較すると理由付けしながら覚えていけるのでスムーズですよ!

 

 次は徳川家康の解説をしてしていきたいとおもいます!

 

 次回もお楽しみに! 社会科担当白木でした!