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【太秦教室】天下を獲った「サル」 豊臣秀吉 前編

投稿者:太秦教室

 

 どうも!太秦教室社会科担当の白木です!

 

 今回「サル」こと豊臣秀吉について解説していこうと思います!

 

豊臣秀吉の似顔絵イラスト

 

 今回のお題の『天下を獲った「サル」』についてですが、豊臣秀吉はすばしっこさや容貌から織田信長から「サル」というあだ名をつけられました。

 

 さらに指が6本あるなど個性的な容姿をしていた秀吉は、持ち前の行動力、人心掌握力を生かして貧しい農民から成りあがります。

                                  ↑ここテストに出ません(爆)

 

 最終的に天下を統一してからの秀吉の業績だけが教科書に載せられるのでした(笑)。

 

 

 さて秀吉は統一した後の政策として

 

 ‖盛涕|

 刀狩

 キリスト教禁教

 つ鮮侵略

 

 の4つがテスト頻出ですので中心に解説していきます!

 

 

 ‖盛涕|についてですが、太閤検地が行われる前に、指出検地(さしだしけんち)←ゆびだしじゃないよ(笑)

 と言う方式で年貢の徴収が行われていました。

 

 指出検地とは自己申告でどれだけの作物を納めるか決めるものです。

 自己申告なので、年によって納入量に違いがあり一年の計画を明確に立てられず困っていました。(自己申告てw)

 

 そこで秀吉は全国の田畑の面積を調べ、数値化した「太閤検地」方式によって安定して作物を徴収することに成功しました!

 

 

 刀狩について、秀吉は太閤検地を行う一方で農民たちから刀などの武器を取り上げました。

 

 理由は明確!武器を持っていたら反乱を起こすから(笑)

 秀吉は農民出身である分、下剋上のパワーを身をもって感じており、下剋上する術を排除しおかないと必ず自分が取って替わられるとわかっていたんですね!

 

 じゃあ、どうやって武器を取り上げたのか?刀を取り上げられるだけでは民衆にとってデメリットしかありません。

 統治をし始めた秀吉にとって、無駄に民衆から反感を買うのは避けたいところ…。

 

 ここで秀吉が持ち前の人心掌握力を発揮します!

 理由を「お寺の鐘に使うから」として、民衆の信仰を利用する形で刀狩を成功させたのでした。

 

 この後も秀吉は行動力、人心掌握力を遺憾なく発揮して、日本の改革に尽力していきます!

 

 今回は以上!

 後編に続きます!